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1985年8月12日

 今から20年前のこの日、丁度バイトを終えて自宅へ戻ると
ニュース速報で「日航機行方不明」の知らせが...。更に
御巣鷹山に墜落炎上する日航機の写真がニュースに流れ、翌朝
には無惨な残骸が...。
 生存者は皆無と思われたが4名の生存者の救出の映像が流れ
(あの映像は20年過ぎた今でも鮮明に覚えています。)少し
は心が救われた想いがしました。
 そして20年目に合わせてだろうか?今年はJAL123便
関連の番組が多いですねぇ...。視聴率稼ぎ という穿った
見方もできるけど、どの番組にも共通しているのは事故の風化
を恐れていること。遺族の方が「一番悲しいのは忘れ去られる
こと」と仰っていましたが、まさにその通りです。あれだけの
大事故を忘れる事は亡くなられた520名の方々に対して失礼
であるし、教訓が教訓でなくなってしまうではないですか。

 あれから20年、時折大事故は起きてはいますが、幸いにも
日本の空では大事故は起きていません。でも、一歩間違えば大
事故というトラブルが多発しています...。先日のJR西日
本の事故ではありませんが、航空会社も安全重視から利益重視
になっていはいないだろうか?...。

追伸
   当時、御巣鷹山のある群馬県上野村の村長であった
   黒沢丈夫氏がまだ御存命であった事を知りました。
   戦史、特に日本海軍航空隊に感心のある方なら御存知
   だと思います。
   御歳91歳、まだまだお元気そうでなによりです。


 

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コメント

その黒沢氏が追悼番組に寄せたコメントで「私にとっても遺族にとっても20年も何もない、1年も19年も20年も全て同じだ」と言うような事をおっしゃっておられましたが、我が意を得たりと思いながら聞いておりました。
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